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やさぐれ同盟

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リアリスト

リアリスト
~クリントン、フセイン両大統領、および言語学者ソシュール氏に捧げる~                                        
 
 どこか遠い国で飛行機が落ちた。乗客180名は、みんな死亡した。その中に日本人が一人だけいた。18歳の少女で、1年間のホームステイから帰ってくる途中だったという。
 そんな、よくある話。いつもと同じニュース。ぼんやりとテレビの画面を見つめながら、僕はふと虚しくなってテレビを消した。「リアルじゃない」なんて、それこそ陳腐なセリフを吐き捨てて、冷蔵庫を開ける。遠い国の飛行機事故より、まずは自分の空腹をなだめることが先だ。その方がリアルなことだしね。

 例えば、雨。この雨をどう表現するべきか? 清浄なイメージ。悲しみのメタファー。いや、駄目だ。そんな手垢にまみれた表現は詩人にとって自殺と同じだ。雨。そう、それは言葉でしかない。言葉は伝達の手段でしかなく、単なる記号だ。もうそこには本当の雨は無い。だが、その本質を、真実を言葉にするのが詩人の役割なのだ。
 
「真実を表現したいとまでは言わないよ。でも、せめてリアルな言葉を書きたいな」

スイッチオン。再びテレビの電源を入れる。例の飛行機事故の被害者の遺族が、現地で泣き崩れていた。日本人の夫婦が俯いている。唯一の日本人被害者の少女の両親なのだろう。にじり寄るカメラ。向けられるマイク。暗黙の了解。決して癒されることのない悲しみ。お茶の間のブラウン管の前の何百万の同情。言葉にならない嗚咽。完璧な予定調和。でも僕は泣き叫ぶ彼らを見て、ほんの少しだけ羨ましかった。もし僕の親しい人が死んでしまったら、僕はちゃんと泣けるだろうか? 僕はちゃんと悲しめるだろうか?

すり減っていく感情。ただ何となく生きていることの代償。やっぱり陳腐な僕らの言葉。

 意味するもの、意味されるもの、言葉それ自体が生み出す混乱を正確に呪いながら詩人は絶望する。絶望できない人間に詩は書けないはずだ。言葉は自然な発話を規制し厳密に制度化してしまう。この緩やかな言語的ナショナリズム、共同性の罠。言葉は、言葉はもっと徹底的に乱れるべきだ。新しい詩は新しい言葉からしか生まれない。
                                                    
 何かがひっかかる。僕の感情は本当に僕のものか?こんな話を聞いたことがある。ラットの脳から大脳皮質を除去すると、そのラットは常に怒り狂うようになる。これをSham・Rage(みせかけの怒り)という。はたして僕の怒りは本物なのか?

 あなたの怒りはリアルですか?

 リアルであることは保守的な現状維持でしかないかもしれない。そう、リアルな言葉は新しい言葉ではない。だからって、どうしたらいい? 誰だって、まずはそこから始めなければならない。だから、だから、だから・・・・

 そして、全てが繋がっていく。僕は、彼女を知っている! 飛行機事故で死んだ少女、僕の幼なじみ。大切な思い出や楽しかった日々、全て忘れて僕は何をやっていたんだ。僕は訳も分からず家を飛び出した。嫌な予感。出来過ぎたアクシデント。車に轢かれて僕は思った。リアルだ。

 スイッチオン。いつものようにテレビをつける。どこか遠い国で戦争が始まった。都市の軍需施設が爆撃されただけだが、もちろん人は死んだ。でも、そんな事はどうでもいい事だ。爆撃の翌日、人々はいつものように仕事に出かけ、オフィスは正常に機能していたという。僕にとっては、そういう話の方がずっとリアルだ。思わず笑ったら、折れた足が痛んで悲鳴を上げてしまった。                                        

 そして詩人は最初の一文字を殴り書きする。        (1998)


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